母、節子は戦前の帰国子女だった
今週は57ページから61ページまで読みました。
今まで三木谷さんのお父さんのことは詳しく書かれていましたがここで改めてお母さんの存在が詳しく書かれています。
父である良一さんは留学をして海外に進出していましたがタイトルから分かる通り母の節子そんは戦前にニューヨークの小学校に2年間通っていたそうです。
両親二人共 浩史さんが生まれる前から世界と触れ合っていたのですね。
帰国子女である節子さんは神戸大学卒業後、総合商社に入社したキャリアウーマンだったらしいです。
節子さんの後お父さんも一橋大学の出で、三菱商事に入社し、ニューヨーク支部に勤めていたようで家系的にもキャリアがすごいなと思いました。
戦争の始まる半年前に帰国したのですが学校でもアメリカ人と言われ非難され、辛い思いをしたそうです。
浩史さんの話に戻ります。三木谷浩史さんにはこのようにいくつかの血が流れており、武士と商人のハイブリッドであることが今の浩史さんにも影響を与えていますが、
三木谷さんが海外に目を向けた1番の原因は神戸という街だそうです。
明治以来外国貿易が盛んでさまざまな人種がいることが当たり前の日常で海外に出ることの抵抗がなかったといえます。