阪神淡路大震災

1995年1月17日阪神淡路大震災がおこりました。浩史さんの両親は無事だったのですが叔父夫婦が亡くなりました。

浩史さんは当時興銀のテレビでニュースを見ていました。東京からすぐに地元神戸に向かい遺体を確認しに公民館へ行ったそうです。そこでたくさんの遺体が並んでいるのを見た瞬間にショック以上の衝撃を受け、人生は有限なんだと思いました。自分は今なにをやっているんだ、後悔しないように生きなくては、興銀を辞めよう、と考えたそうです。

 

浩史さんはいつも重大な決断をするときは父親である良一さんに相談していました。興銀を辞める際も。良一さんは反対したのですが浩史さんの決意は固く、起業することになったそうです。

 

新しい会社の名前を決めるときに横文字の候補がいくつかあったけども「一度見たら忘れない名前だから楽天がいい」と言ったのは良一さんらしいです。

 

辞めると上司に報告したとき、流石の浩史さんもいつもの覇気はなく顔面蒼白だったようです。当時まだまだ優秀な会社であった興銀を辞めると言いだすのは相当な決断だったと思います。普通だったら家族から反対に合うはずですが、浩史さんの周りの人たちは暖かく見守るという判断をしたのも信頼されてる証拠なのだと感じました。