息子、浩史はわんぱく小僧だったⅱ

アメリカ生活を終え日本に帰っても浩史さんの勉強嫌いは変わらず廊下に立たされたりチョークを投げられたり、それでも浩史さんはくよくよしないし気にするそぶりも見せなかったみたいです。成績も素行も悪かった浩史さんですが、みんなに愛されていてクラスでも人気者で学級委員にも選ばれたこともあります。
曲がった根性を叩き直してもらえという父親の意向で小学校卒業後は中高一貫の全寮制の学校に入学しました。思い返すと本人は楽しんだと言っているみたいですがここはとても厳しい学校で、週末には帰省するたびに浩史さんは表情が暗くなっていました。タバコを覚えたのもこの時期で、刑務所の気分で楽しんだそうです。
しかしある時当然両親に学校を辞めたいと告げました。そんな浩史さんを両親は一切攻めることなく10分後くらいには電話で父親が理事長に明るく話したそうです。
そして地元の公立中学に編入し、中学2年生のにして、麻雀、競馬、パチンコに熱中するようになります。
それでも浩史さんが完全に道を外さなかったのは両親の厳しさとおおらかさを合わせた教育の仕方のおかげだと思います。浩史さん本人の背中を見ているという一点のみですが、それを浩史さんは感じ取っていたみたいです。
中学の頃は勉強せずずっと遊んでいた浩史さんですがなぜかすごく女子にモテたようで、これは危ない方向に行くかなと良一さんは感じ、浩史さんにテニスを進めました。
狙い通りに熱中しだし、この頃はプロになると思っていたそうです。そのためには高校に行かなければならない。テニスをするために浩史さんは受験勉強をしました。3ヶ月間くらい一夜漬けのように追い込み、名門明石高校に合格しました。
そこでテニス部に入るのですが一年生の頃は球拾いしかさせてもらえず、父に球拾いでテニスが上手くなるかと問いたところ「そら、うまくなるこもはないやろ」と言われ、退部し宝塚テニスクラブに通い、本格的にプロを目指します。
せっかく入った明石高校でも成績は悪く、浩史さんはテニスのプロになるか就職するかしか考えてなかったそうです。ところが父親は食いっぱぐれることのない医者か歯医者にしたかったみたいで、高校2年の大会だ優勝できなかったら大学に行くと約束させます。案の定張り切りすぎてか、足をつって浩史さんは優勝できませんでした。
この二つのエピソードから分かると思いますが浩史さんのお父さんは自分の息子のことをとてもよく考えていて、うまーくコントロールしているし、浩史さんの決断の全てに父親が関わっていると感じました。
浩史さん本人のインパクトが強いですが、本当にすごいのは父親だと改めて感じました。