息子、浩史はわんぱく小僧だったⅰ

今週は61〜76ページを2回に分ました。

 

前回母である節子さんは帰国子女だったというお話はしましたが浩史さん自身も小学校2年生の時に父親の仕事の関係で2年間アメリカで暮らしていました。

もともとは父親のみ渡米する予定だったのですが節子さんが一緒にいた方がいいと ある日 直感で思い立ち、全員で行くことに決めたそうです。アメリカでの教育は子供達にとって必要であるとの判断でした。

浩史さんが初めて登校する日、両親共仕事で学校には一人で行くしかありませんでした。日本語学校ではなく普通の地元の学校です。もちろん浩史さんは英語は一言も喋れません。ですが本人もご両親も浩史なら一人でも大丈夫だろうと思っていたようです。

多少の心配はあったらしいのですが、それをよそに浩史さんは登校したその日のうちにアメリカ人の友達を家に連れて来ました。

小学2年生の少年を一人で送り出すことも驚きですがその日のうちに友達を作って家に招く浩史さんはわたしからしたらとても信じられないし、コミュニケーション力がすごいなと思いました。

また、家族全員で1ヶ月くらい車でアメリカをまわったことがあるそうです。ニューヨーク、ワシントン、フロリダ、ケンタッキー、ニューメキシコ。ロサンゼルスのディズニーランドにも行き、サンフランシスコに行ったしシアトル、バンクーバーいろいろなところを回りました。グランドキャニオンで浩史さんは世界の広さに衝撃を受けました。

日本に住んでいたころにはわからなかった世界をそこで感じることができたそうです。

節子さんが渡米しようと思ったからこそできた経験であり、自身の子供の頃の経験を子供にも与えたいという考えは素晴らしいと思いました。

 

母、節子は戦前の帰国子女だった

今週は57ページから61ページまで読みました。

今まで三木谷さんのお父さんのことは詳しく書かれていましたがここで改めてお母さんの存在が詳しく書かれています。

父である良一さんは留学をして海外に進出していましたがタイトルから分かる通り母の節子そんは戦前にニューヨークの小学校に2年間通っていたそうです。

両親二人共 浩史さんが生まれる前から世界と触れ合っていたのですね。

帰国子女である節子さんは神戸大学卒業後、総合商社に入社したキャリアウーマンだったらしいです。

節子さんの後お父さんも一橋大学の出で、三菱商事に入社し、ニューヨーク支部に勤めていたようで家系的にもキャリアがすごいなと思いました。

戦争の始まる半年前に帰国したのですが学校でもアメリカ人と言われ非難され、辛い思いをしたそうです。

浩史さんの話に戻ります。三木谷浩史さんにはこのようにいくつかの血が流れており、武士と商人のハイブリッドであることが今の浩史さんにも影響を与えていますが、

三木谷さんが海外に目を向けた1番の原因は神戸という街だそうです。

明治以来外国貿易が盛んでさまざまな人種がいることが当たり前の日常で海外に出ることの抵抗がなかったといえます。

 

父、三木谷良一の戦後体験

今週は39ページから57ページまで読みました。

今回は三木谷さんの父である良一さんのお話でした。良一さんが生まれ育った時期は日本が戦争の泥沼に落ち込んでいった時期とぴったり重なっています。

戦時中に育ち、終戦後アメリカ軍がやってきました。良一さんの最初の世界との出会いは占領軍のアメリカ兵でした。鬼畜米英と教えられて育ったがフランクで人懐こいアメリカ兵とアメリカ軍の豊かさは良一さんの心に強烈な印象を残したようです。

ある時、黒人の米兵が良一さんの家を訪ねてきました。目的は水をくれということでしたが言葉が理解できず、意思疎通のできないことを良一さんはとてももどかしく思ったようです。そこで英語を勉強しないとダメだ、と感じたみたいです。

自分の幼い時期を苦しめた戦争の相手と触れ合いこのように感じるなんて前向きだし、良一さんの考え方はすごいと思います。

良一さんは浩史さんとは違い幼いころから賢く、勉強もいつも一番でした。しかし母からは学校にもいってなかったお前のお父さんの方がもっと勉強できた、といつも言われて育ったそうです。これは良一さんが上がらないための戒めとして言っていたらしいのですが、良い育て方をしているなと思いました。

このように育った良一さんは学問の道に進み、浩史さんに普通は子供にはしないようなさまざまな話をしました。

小さい子供が大人に聞くようななんで?どうして?なぜ?と言った問いかけを浩史さんにしていたようです。この問いに解はなく、考えること自体が大切だと思えました。

良一さんは経済学者というよりは哲学者や思想家といった考えの持ち主だったみたいですね。

浩史さんの考え方の根底に流れている「そもそも論」は父の良一さんがアメリカで体得し、その父から受け継いだものであるようです。

このように良一さんは浩史さんが成績が悪くても叱るという教育ではなく、対話という方法を選びました。その常に対話をすると姿勢は楽天でも行っているみたいです。もちろん英語でですが。

 

小学校時代の通信簿

今週は31〜39ページまで読みました。

 

今回は三木谷さんの子供の頃の成績のお話です。

 

一橋大学を卒業し、日本興業銀行に就職、同期中最速でハーバード大学に留学し、MBA(経営学修士)を取得。30歳で興銀を退職し、新卒の大学生を従業員にしてたった二人で企業。5年後にはアメリカの経済史で世界の若手富豪ランキング6位に入っています。

 

以前にも書いたように三木谷さんは悪童でした。通信簿は2と3ばかりで5は一つもない。

 

高校2年生までずっとそんな調子で途中から受験勉強と称して学校にはほとんど行かなくなったそうです。

 

悪童エピソードで印象に残ったのは三木谷さんが小学5年生の頃、先生が使っていたアルミの灰皿を無断で持ってきてそれをぺしゃんこにして廊下でエアホッケーをやったことです。

 

先生からしたら本当に手のつけられない悪ガキだったのでしょうね。

 

それでも三木谷さんの両親は三木谷さんを責めることをせずのびのびとありのままに育てました。

 

三木谷さんには兄と姉がいるのですが二人は誰が見ても優秀で三木谷さんが兄弟の中で落ちこぼれなのは明らかだったのに

 

彼がひねくれずに育つことができたのはこの両親の考え方と接し方のおかげなのだと感じました。

 

一章:三木谷浩史を教育した父と母の考え

今週読んだのは19ページ〜30ページです。

 

 

〜初めての鮮やかな記憶〜

 

三木谷浩史少年の幼い頃の鮮やかな記憶の話から本章は始まるのですがそれはなんとお父さんが浩史少年に向かって切腹をしろというのです。

 

プロローグには優しい両親と書いてあったのでこの変わりようにわたしはとても驚きました。

 

剣道の有段者である普段は優しい父は時々火がついたように怒ることがあったそうです。

 

浩史少年にはそのときどう場が治ったのか記憶はないらしく、なにが原因かも覚えてないとのことで

 

それは三木谷さんの癖であり、過去のことには関心が持てない性格で、記憶力が悪いわけではないというのです。

 

今生きてる瞬間と未来だけにとても深い関心を持っているって素晴らしいですね、、、、わたしも別段過去のことを鮮明に覚えているわけではないですが、かといって未来のことなんか全く考えてないのですごいなぁと感じます。

 

 

そして父である良一さんのシュンペーターの考えを基にした考え方が「イノベーション自体が利益の源泉」とのことです。

 

これはまるで今のベンチャー企業アイデンティティを言い当てているようで

 

 

三木谷さんの永遠のヒーローであるお父さんが今の起業家である三木谷さんを形成していったのだと思います。

 

 

 

プロローグー太陽の子供ー

わたしはゼミの課題で三木谷浩史さんについて書かれた「問題児:三木谷浩史の育ち方」という本を読むことになりました。

 

今週はプロローグである15ページまで読んでみました。

まずわたし自身三木谷浩史という人物についてあまり知らなかったので少し調べてみたところ、経歴だけでもとても優秀な人物だということがすぐにわかりました。

三木谷浩史の経歴は、経済学者の三木谷良一の次男に生まれ、1988年に一橋大学商学部を卒業し、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。1993年にハーバード大学経営大学院を修了し帰国した後、1995年、日本興業銀行を退社して、楽天を創業し、会長に就任〜

http://anincline.com/mikiyani-hiroshi/より抜粋

 

とてもエリートの印象を受けますね。 しかしこの本では問題児というタイトルが付けられているように三木谷浩史がどうやってこのような経歴になったのかが書かれているようです。

 

以下はわたしがプロローグを読んで記憶に残ったところです。

 

三木谷浩史とは、未来を見せてくれる希少な人物なのではないだろうか。」

「この前、イーロン・マスクと話したんですが、やはりベンチャー起業家は、国家に反逆しなくてはいけない、と。ははは」

「人生のターニングポイントで、息子は父親に相談を持ちかけた。」

 

最初の文は作者である山川健一さんの感じたことです。過去を振り返るのではなく今からの未来を歩んでいけるような人というのは珍しい目線だと思い続きが気になります。

イーロンマスクという人物も起業家であり、今回の課題の本の中にも彼の本があったと思います。起業家同士はつながっている人が多いのでしょうか。

三木谷さんには自分の核になるとても大きな存在がいました。相談できるような自分にとって尊敬する偉大な人物が最も身近な親というのが三木谷浩史という人物を作り上げた最も重要なことだと思いました。

 

また「ベンチャー起業家は国家権力に反逆しなくてはならない」の続きに「そのような姿勢がクリエイティビティを育てる」と綴られています。その考えは楽天の中で脈々と受け継がれているそうです。

 

 

わたしは自分のことを普通に普通の人生を歩んできているごく平凡な人間だと思っており、この先もずっと普通に生きていくものと考えています。

わたしとは全くの対照的な三木谷浩史という人物についてこれから読み進めいくのが楽しみです。